真実を求めることだけが幸せじゃない

こんばんは!

こちらのブログでは初めての投稿になります。

ともくんの紹介で今回からこちらでブログを書くことにしました、秋月誠心と申します。

今日は、

【真実を求めることだけが幸せじゃない】

ということについて書きたいと思います。

東京では、昨日から今日にかけて暴雨が続き、午後にはすっかり晴れましたが、強風が残る一日でした。

そんな中での気づきです。

今日町を歩いていると、

子供がお母さんにこう言ったんです。

「ママ!お花さんがこっちに挨拶してくれてるよ!」

お母さんは、風で揺れている花を見ながら、

「そうだね~^^」

と返していました。

皆さんはこの会話からなにを感じますでしょうか。

ここで「いや、それは風というものによって揺れているだけで、その風はどのように生まれるかというと、、、」と説明した方が良かったと思うでしょうか。

それとも、

子供の信じるものをありのまま返してあげるお母さんは正義だと感じるでしょうか。

はたまた、子供だから、それでいいが、大人がそう言っていたら注意する。でしょうか。

僕はこう思います。

時には、大人に対してもそれが必要。

具体的に置き換えると、

「おお!花が挨拶してくれてるよお!」

と言っているおじさんに対しても、

「そうですね^^」と言える勇気と広い思想が、人の関係をより良くする場合があるということです。

僕が意識高い人や経営者と時間を共にすることが多いからでしょうか。

僕の回りには、【真実を求める人】がとても多いです。

ですが、何も【真実が正しい】かというとそうではないと思います。

あえて、表面的なことや、本質的ではないことに寄り添えることも必要だと思うんです。

恋愛に置き換えても分かりやすいかもしれません。

女性に対して、

【正論を言い過ぎてしまう男性】が度々いらっしゃいます。

(※かくいう僕もその内の一人です。)

その主張は間違いなく正論なんです。

ただ、正論だからこそ相手の逃げ場をふさぎ、傷つけている場合もあります。

そもそも、相手は真実や正論を求めていませんし、観点が既にずれていることもしばしば。

物事の観点として【常に】真実や本質、事実を求めるべきなわけではないと思います。

時と場合によって、

相手が大人だろうと子供だろうと、子供に対して接するときの広い器と、思想、いい意味でありのままを受け入れられる余裕があるといいのかもしれません(^^)

以上です。

これから毎週日曜日に更新していくことになりましたので、よろしくお願い致します。

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